10.24年間彼女ができない人の脳内

いつも社会不安障害のことを書いていたが、それだけでは面白くないので少し違うことも書いてみようと思う!

 

自分は、24年間、そろそろ25歳になるが一度も彼女ができたこともないし、できそうな雰囲気になったこともない。24年間、まあ思春期からと考えると10数年間常に彼女が欲しいと自分は思い続けていた、と自負している。それでも一向にできる気配がなかった。

最近だと、街中でカップルの姿を見ると、強烈に羨ましく思い嫉妬するのと同時に、なぜ世の中の人たちはあんなに多くのカップルがいて、いとも簡単に男女が付き合うようになれるのか疑問でしかない。自分は男女2人で遊んだ経験は数えるくらいしかないし、常にぎこちなかった。そんなこともいとも簡単にこなし、彼女を作りカップルになる世の中の男たちは意味がわからない。何を経験したらそんなことができるのだろう笑

 

もう25歳になる年齢。1度くらいはそろそろ彼女を作りたいけど、作り方がわからない。世の中の人たちは、どうアプローチをし彼女を作っているのか本気でわからないし、カップルを簡単になれる人たちは理解不能である。

 

自分は顔はブスとも言われたこともないし、イケメンとも言われたこともない。恐らく、カッコ良い人ではないのは確かだが、容姿が終わってる人だとも思わない。今まで、容姿とかを馬鹿にされたことが子供の頃から1度もなかったから。子供の頃は、何かと欠点があると、純粋だからそれを口に出しがちである。身体が小さかったのでチビとかはよく言われたが、顔のことは言われたことはない。

 

性格も悪くはないと思う、世の中にいるDVとかしてる男よりは絶対マシだと思うが、そんな人でも彼女を作っている。もうこの世の中のカップル理論がわかりまてん笑

 

大学で、彼女論とかカップル論とかがあったら本気で学びたかった。それくらいカップルになる方法が未知のものでならない。

 

それでも彼女が欲しいと思うからタチが悪い、電車の目の前にカップルがいたら嫉妬するし、手を繋いでたらさらに嫉妬するし、それでもカップルになったお互いに尊敬の念も抱いているのも確か。

 

この世の中でカップルを作れる人すごいです、そろそら25歳、自分もなんとかしたいが、方法がわかりまてん、それでも日々自分は磨いていきたい、いつかモテるその日まで!!

9.社会不安障害を経て得たこととは

 パッと思いつく1番のことは、「人に優しくなれること」のように感じる。

 

 最近は、自分が弱いから人に優しくなってるんだと思ってたけど、たまにある調子が良くて怖いものなしみたいな日でも、しっかり人に対して心からの思いやりを持てるようになったのは、社会不安障害になった前には思いもよらない変化であると感じる。以前の自分は、他人の痛みなど無関心っていうか、そもそも自分自身が痛みがわからないわけだから、人の痛みがわからず共感できず、もちろんわからないわけだから優しくもできないっていうより人の痛みにそもそも気づかなかった。

 人に優しくしようと思わなくても、今は思いやりを持って人と接されてると思う。以前の自分にはなかった感覚である。自然と自分のように死ぬほど悩んでるかもしれない人だから優しくすべき、と思ってるのかもしれないし、基本的に自分の基本的価値観として、他人への思いやりは自然に振る舞えるようになったと思える。

 

 ここは、正直、社会不安障害になる前と今での1番の変化であると感じる。特に、自分よりも年齢が下の子に対しては、自分が死ぬほど悩んでいる経験と同じ経験をしているかもしれないから、本当に自然に優しくなっている。あの時の自分がいたら、当然、突き放すような態度は取れないし、優しく接してあげたいから、他の子にもその時の自分を当てはめて見ちゃっているのかもしれない。

 

 今は、調子が良いからこの病気を過去のこととして振り返って書いているけど、全然、未だに渦中だからなあ、まあでも高校とかよりは大分マシだから、まあ良いのか笑笑

 

 何かしてもらいたいから、人に優しくしたいとかっていう下心は本当に精神を病んだことがある人は無くなるのではないかと思う。その点、精神を病んだことがある人は建設的な人生を、その観点からは病んだことのない人よりかは送れるのではないかとも考える。自然と出てくる利他的な心は、利己的な心と違って汚れていなくて、いつも良い気分にしてくれる。(この自分が良い気分になってる時点で少しは利己的かもしれないが、相手にも良い結果をもたらしwin_winの関係をもたらしてくれると思えば、まあ良いのかな笑)

 

 そんな感じで、今回は社会不安障害になって良かったことを書いていった。今は調子が良いから、過去のこととして書いちゃってるけど、正直、この病気にならなかったらここまで人格が成長しなかったし、人の痛みに共感できる人生を歩めるようにならなかったと思うから、この病気になって正直、今はめちゃくちゃ感謝している。(死ぬほど辛かったが笑)

 

 なので、まあ正直がヒドイ人はそれどころじゃないと思うが、この病気になったことでプラスのことも少しはあると思うので見つけてみてほしい。恐らく、少しは楽になれると思うから!(普段マイナスなことしか見てないと思うが、物事には必ず一長一短で良いところもあるはずだから、良い面に着目してそこを感じ取ってほしい)

 

 こんな風に振り返ってるけど、まだまだ、人見知りするし、他人に緊張してますけどね、まあこの病気には正直今は感謝しかないね!笑笑

 

 

8.『ディア・エヴァ・ハンセン』という映画を見て

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めちゃくちゃ良かった、、、

社会不安とうつを患ってる主人公というのに、自分を重ねて見たくなって見てみたけどすごく良かった。

 

 多分、社会不安全盛期の時はもっと良かったと思う。何回か苦しかった昔を思い出して泣きそうになってしまった。

 

 正直、レビューとか見てあまり期待はしていなかったけど、自分的には全体的に仕上がっていてとても良い映画だった。何が良かったかって言われるとすぐには出てこないけど、全体的なまとまり感みたいなものがなんとも言えず自分には良いものであった。

 

 社会不安の真っ只中の人は、主人公が社会不安の症状を持っている(大勢の前でのスピーチで手が震えたり)ので、感情移入して見れると思う。

 

 でも、対人恐怖症の人で視線恐怖を持っていると、映画館がかなりきついのを経験から私はわかります笑

 

 今回、自分が見た映画館は4人しかいなかったので、社交不安真っ只中でも多少気になってもそんなにずっとすごい気になる程ではないとは思うので、そのような人は空いてそうな時間帯での人が少なそうな映画館を選ぶのをオススメする。

 

 ところどころ、社会不安になってるからかわからないが、共感ポイントがあって常に映画に引き込まれていた。

 

 やっぱり、鬱病とか社会不安とかになる人って心が優しいんだなって感じた。まあ、裏を返せば心が弱いから優しくなってるだけとも言えるけど(自分への戒め笑)

 

 

 堅苦しくなく、さらっと見れて内容も分かりやすかったので、社会不安で悩んでいる人とかは1回見てほしい。自分も昔ほど辛くないからその当時どこがハマったかは想像はできないけど、きっとそれぞれにハマるポイントがあると思う。なんていっても、心が弱い人が何人も出てくる映画だから!

 

 今は、幸運なことに人が怖いって正直はほぼ消えて、人の目を見るのが怖いくらいに治まっている。人が怖いって思っていた時は、もう外に出るのが苦痛で苦痛で仕方なかった。(外に行けば嫌でも人があるから怖い思いをする)

そんな状態からは今は脱しているから今回の映画も普通に楽しんでしまった笑

 

 でも、総合的にすごい良い映画だったなぁ、このブログに書くつもりはなかったけど、ちょっと面白くて興奮しちゃったから書いてしまった。3、4回か泣きそうになったけど泣きはしなかった。もう1、2回くらい見たい映画だった!

 

 

 今、社会不安に悩んでいる人、孤独だなぁって感じる人、周りとうまく馴染めない人、とかが見るとすごい共感できる良い映画だと思うので是非見てください!

なんて言っても主人公がそのような人物だから

 

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7.社交不安障害全盛期でも症状を少し和らげる方法

 今まで、社交不安と共に生きていく中で、何故か社交不安の症状を少し和らいだ時があったので、そのことを書いていこうと思う。

 

 結論から先に言うと、「何かに熱くなっている時。」何かに向かって情熱的になっている時は対人恐怖の症状は少しはあったとしても、通常時よりは全然楽になれていた。

 

 これは、結構ずっと当てはまってるから、自分の経験からでは間違いのない法則のように思える。

 

 では、自分が今まで、何かに熱くなって対人恐怖を感じにくくしていたことは何があるか、少し思い出してみると…

 

1リットルの涙を見た時

・熱くなれる音楽を聴いた時

・浪人の初期のやる気に満ち溢れている時

・誰かが努力してる動画(YouTube等)を見た時

・自分よりも辛い状況で頑張ってる人を動画で見た時

ドラゴン桜(初期)を見た時

・ガムシャラに筋トレしていた時

・フロー状態(いわゆるゾーンというもの)に入っている時

・やる気になれるような自己啓発本を読んだ時

・人との会話でうまくキャッチボールが取れている時(ほとんどなかったが、たまに何故かうまくコミュニケーション取れている時があったが、その時は最高に気持ちよかった)

 

 

 

 このように振り返ってみると、何かをして心が動かされている時に対人恐怖の症状が少し和らいでいるように感じる。対人恐怖の心情と先程のようなプラスの心情は同居できないのが原因かもしれない(そんな理論知らないし、ないと思うが心理学でマイナスの感情とプラスの感情は同時に感じない、という話を聞いた覚えがある笑)

 

 このことからも、まずは社会不安に苦しんでいる人は、何かに熱くなれたり、心が動かされることを探すことをオススメしたい。これは、対人恐怖の根本治療というより辛い症状を少し和らげて自分を楽にしてくれる方法のように自分の経験から言えると感じている。自分のように何かに熱くなることでも良いし、はたまた誰かをとことん愛することでも良いし、とりあえず対人恐怖を忘れさせることには別の心情をインストールするしかない。そのために自分は心を熱くするという媒体をインストールして対人恐怖を和らげる方法を覚えた(10年近くの付き合いだから、このようにうまく付き合っていくコツも覚えていった笑笑)

 

 

 完全には人が怖いという心情を忘れさせることはやっぱり難しいけど、この方法で自分はかなり楽に生きることができた。でも、注意点が人の心情は長続きしないってこと。何かに熱くなっても2、3日とかで、長くて1週間とか1ヶ月が良いとこだったと経験上言える。それが厄介なところで、ずっと続いてくれれば楽なのに、また別の熱くなれる媒体を探すのは正直かなり労力もかかるし、時間もかかる。自分が心を動かされるってことは自分の常識を超えるような経験(想像を超えるような映像を見たり)をするわけで、そう簡単に見つけられるものでもない。しかし、そんな少しでも忘れさせる方法として、この方法はすごい自分としては良い方法だったと思っている。本当に辛い人は、是非試して欲しいっていうか、まずは何に心が動かされるのかを調べてそれを実行していってほしい。行動しないと何も始まらないから!!

6.対人恐怖症の自分が就職してから半年

 

 何か、久しぶりにこのブログ開いてみてアクセス解析?とかいうやつ知らなくて、見てみたら少し見てくれてる人がいて嬉しくなって、また書きたくなった笑

 

 やっぱり、過去の自分のように悩んでいる人は少なからずいるんかなぁって感じたし、1人でも自分のような人を救いたいっていうモチベはエグいほど高い(生きていく状態ではなかった笑)から、もっと自分のことを書いて少しでも改善のヒントにしていただけたらなって思って少しまた書こうと思った!

 

 まさか、読んでくれてる人なんかいないと思ってたからアクセス解析みたいなやつを見て今月だけで20件近くアクセスがあってかなり嬉しくなってしまった笑

 

 まあ、就職して半年近く経つけど、就職して社会に揉まれたら少しは人が怖くはなくなるのかなぁ、とか思ってたけど、全然そんなことはなくてまだ全然怖いですね笑、でもいつもってかここ数年ずっと同じこと思ってるけど、以前よりは確実に良くなっている、とは感じる。しかも、人に接しなければいけない接客業で毎日人が怖い中仕事してるから少しは良くなってもらわなきゃ困るけど笑

 

 やっぱり仕事をやってて思うのが、一番怖さがなくなる時っていうのは、やってる仕事に対しての知識とかをつけて自信をつけている時だと感じてて、そこは自分が対人恐怖沼にハマってた高校時代に似てて、努力して自分を成長させることが1番のこの症状の特効薬であることは自分の中では自分という媒体を通して得られてる実験結果である。

 

 でも、正直努力することはしんどいし、正直やりたくないけど、その後の楽しさとか今より楽になれることを考えたりして、その努力も楽しみながらできたら長続きするのではないかと考える。(自分は割とそこら辺は楽観的)

何事も努力するならコツコツと持続させないと効果はない(筋トレが教えてくれた真理)と思うから、楽しみながらの努力でないと絶対続かないと思う。人間辛いことにそう耐えられるようには設計されてないから!

 

 人間関係については、ムカつく奴もいてたまに転職したいなぁ、とかも思うけど、それはどこの会社に行っても同じだとは思うし、嫌なやつはどこにでもいるからなぁって今は思っている(また転職したいって思うだろうが)。でも、一緒に仕事してて楽しい人も中にはいるし、尊敬できる人もできた。何よりこんな性格だから、良いとこよりも悪いところに目がいってしまうのは良くないよなぁー、とは思うものの中々やめられないのが現実だからそこら辺をうまく扱えるようにはなりたいよね笑

 

 とりあえず、今はマスクがあるから顔がひきつっててもバレないという最強の武器があるけど、コロナが収まって顔の引きつりがおおやけになるとなってしまったらどうなるか、は正直不安笑

 

 コロナで安堵しているの、多分社会不安障害の人たちだけだよな、、人とちょうど良い距離感できるし、そんなに近づいてくる人もいないし、本当今の方が生きやすい正直笑笑

 

 

 今日はこんくらいかな、何か見てくれてる人がいるとは思ってもいなかったから嬉しくなっちゃって特に書くこともなかったけど、反動で少し書いちゃった笑、また見てくれてる人が少しでもいるようだったらその人のためにも更新しないとなって思う(謎の使命感笑)。昔の自分のあの状態の人がいるならば、絶対救わなければいけないし、心から救いたい。自分がその苦しみを誰よりもわかっているから。今、その状態の人が今もいるって考えたら少し泣きそうになったけど、辛くても少しずつ努力して必ず良くなる(絶対治るとはいかなくても)と信じてとりあえずやれる努力をやっていってほしい。(いきなりでなくても長期的な視野を持って少しずつで良い)、、色々な動画では休むべきとかいう意見の方が多いとは思うが、あえて自分は社会不安障害の人は努力すべきだと言いたい。それが1番楽になれる道だから。

 

5.対人恐怖症になって自身に起こった変化

1.人と話してる時に笑顔になれなくなった

人と話してると緊張して、笑顔が引き攣ってしまい、笑顔が作れなくなった。会話の中では愛想笑いとか必要な場面でも笑顔が作れないので当時は1、2年ずっと悩んでいた。


2.人前に立てなくなった

人前で何かを発表するときは、目の前に自分を狙っているスナイパーがずらっといるイメージで、前を向いて喋れなかった。前を向いたら自分を向いて構えているスナイパーと目が合うわけだからそれほど怖いものはない。今でも、その時のあの状況には戻りたくない悪夢な時間だった。


3.人と会わなくなった

小学校の頃は、人と関わるのが好きで毎日のように誰かと遊んでいたが、対人恐怖になった高校らへんからは本当に誰とも遊ばなくなった。人と関わるのを最低限にして、1人の時間がかなり増えた。本当は関わりたかったし、彼女が欲しかった。(今まで1人もいない)


4.人の目が見れなくなった

視線恐怖症というものに、対人恐怖になって半年か1年後くらいになって発症し、今もそれに悩んでいるほど根強いやつである。人の目線が異常に怖くて、目が合わせられない。自分の場合、自分の目線が人に嫌な思いをさせているという自己視線恐怖みたいなものはなく完全に他者視線恐怖である。人の目線が、銃口に見えて目があった瞬間撃たれるって感覚である。多分視線恐怖症になった人にしかわからない感覚だと思うけど、視線恐怖症の人はかなり的確な例えだと思ってもらえると思う。


5.ふざけられなくなった

自分は、元々おちゃらけた性格であったが、対人恐怖症になってからは目立ちたくないのでその性格を封印して大人しい奴を演じてきた。その結果、自分を偽るのはすごいストレスなのか知らないが、円形脱毛症に2回なってびっくりした記憶がある。


6.疲れやすくなった

とにかくすぐ疲れるようになった。常に周りに気を遣って生活しているからか徹夜とかしたら次の日は常にグッタリしてるくらい体力がなかった。普通は若いから徹夜とかもできる体力があるはずなのに、徹夜なんかしたら次の日本当に気力がなく死んでいた。今も、体力のなさには悩んでいる。仕事終わりとかもどっかに本当は行きたいけど、帰ったらすぐに寝てしまう。後、疲れると対人恐怖症の症状も増してしまうところも厄介なところ笑


7.調子の良し悪しが激しくなった

日によって、対人恐怖が激しい日とそうでない日があってそれによって調子が悪いとか良いとかの差が激しいと感じていた。そもそも対人恐怖症になる前は調子とかということを気にしたこともなかったが、対人恐怖症になってからはすごい気にしていた。とりあえず、7時間以上寝れれば調子が良い日は多かった。6時間未満だと調子が悪い日が多かった。


8.1人でいる時間が増えた

これは大学の時がメインだが、何かの集まりがあっても対人恐怖症がひどい時は、その集まりに行かずに1人でいることが多かった。対人恐怖症の方が遊ぶ楽しさよりも強かった。そもそも対人恐怖がひどいときは遊んでても楽しくなく対人恐怖症のことしか考えられない。だから、1人は元々嫌いだけど渋々1人でいた感じがする。


9.周りを異常に気にするようになった

1人でいる自分も誰かに見られたら、ぼっちって思われるとか、自分の一挙手一投足が誰かに見られてる気がして何かやることなすことに神経を使い、常に自然体でいれなかった。


10.電車に乗るのに苦労するようになった

人が大勢いて、目線も多くて、人と目が合う危険性も高い。あんなに対人恐怖症泣かせの乗り物はないと思うくらい恐怖の乗り物である。どこを見ても誰かの視線と合ってしまい、落ち着ける場所がない、常にソワソワしていた。電車を降りる時にはいつもグッタリしていた。


11.すれ違う人も気にするようになった

すれ違う人の目線も気になりだして、絶対にすれ違う人に意識がいってしまう。本当は何も気にしないで通り過ぎるのか普通だと思うけど、無意識に気にしてしまうから止めようもない。人が来るたびにビクビクしてたら休む場所もない


12.外にいたら何をしてもつまらない

外にいれば、必ず人の視線がある。それを気にすることが1番の目的になってしまい、本来楽しむべき対象に対して楽しめなくなる。楽しむ方に意識がいかずに対人恐怖の方に意識がいってしまうので楽しむことができなくなるので、何をしてもつまらなくなった。ただ、たまに自分を向上させることは、対人恐怖の症状がむしろやる気につながって相互作用を生み出して唯一、外でも楽しめる媒介になっていった。


13.怖そうな人がすごく怖くなった

普通の人間でさえ怖いのに、怖そうな人だとそれが2倍にも3倍にも怖くなってしまい、相当な恐怖になっていた。今もそれは変わらないが、本当に全盛期は相当挙動不審になるほど怖かった。普通の人でも多分怖い人には怖いと思うと思うが、対人恐怖症の人はそもそも人が怖いというフィルターがあるならでの怖い人なので、さらに上乗せされてその人のことが怖くなる現象が起きるのだと考える。


14.パソコンが使えなくなる

自分の場合、パソコンとか映画とか何か1つのことに目線を集中させるものを見た後は視線恐怖症が悪化して現れていた。何故だかはわからないがパソコンとかした後はいつもに増して人の目線が怖くなっていた。


15.買い物が苦痛になった

買い物も人の目線の巣窟である。どこにも人の目線がある最悪の場所である。まとめ買いをしたりして、いかにそのような場所に行かないようにするか、を考えていた。



 こう考えると割とできなくなったことは多いな、と感じる。でも、恐怖を感じながらでも今自分は現に生きているし、この年齢になると他の人も大なり小なり何かしらのことを抱えて生きていることがわかり、自分だけじゃないのだとわかり少し肩の荷は降りた感じはする。でも、相対的に見れば自分の対人恐怖症というものはキツイ症状には変わらないとは思うが他の人も何かしらの悩みや苦悩を持っているのだと思うようになれると少しだけ自分にもそして他者にも優しくなれる気がする。何かYOASOBIみたいな歌詞になってしまったけど、対人恐怖症の人はもう少し自分に優しくなっても良いんじゃないかなぁって思う。いつかは治るってか、受け入れるっていうのが正しいのかもしれないが、対人恐怖症を気にしなくなる(決して治るだけがゴールではない気がする)日が来ることを夢見て今日もまた生きていこうと思う。

4.浪人時代の経験(社交不安の影響で)

 今、YouTubeで今の浪人生へのエールみたいな動画見て自分も語りたくなったから、このブログで語ろうと思う笑


 もう自分は浪人時代が5年も前になるのか、でも自分の人生のターニングポイントでもあった。正直、浪人するまでは本気で努力した経験がなかった。高校の頃は、社交不安障害で人が怖くて人と話せないし、本当に常にブレブレの自分でいた。浪人して良い大学に行けば人より上に立てるわけだから人が怖くなくなるっていう安直な考えから、浪人してガムシャラに勉強した。自分の場合、小学生の頃は社交不安障害ではなく、すごい楽しくて充実してて人と楽しく関われてたので、その過去の自分に戻りたい一心で最初の2、3ヶ月は1日12時間近く勉強していた。でも、人はそう長くは頑張れない生き物で(その当時は努力したことがなかったので、努力し続けると長くはもたないということを知らなくて、ずっと楽しく努力できると思っていた)、浪人してから3ヶ月くらい経ったくらいから体が疲れ始めてきて、勉強に集中できなくなった。そこで少し休めば良かったものの、小学生の時のような人が怖くないで楽しく人と関われるようになりたい思いが強すぎて、集中できなくても無理矢理勉強し続けた。もちろんそんな状態では学力が上がるわけでもなく、学力低下が原因で自己嫌悪になっていき、最終的に勉強時間もそんなに確保することができず、受験して結果的には中堅大学に行けはしたが、その程度では対人恐怖症は治らないと思っていたし、何よりその事実に対しての自分に対しての自己嫌悪が当時はすごかった。大学1年まではそれを引きずっていたが、大学2年から少しはエネルギーが回復したのか、また対人恐怖症を治し、また再び小学生の頃のような恐怖を感じない人との関わりをするようになるための努力を始めた。今度は、以前の失敗から無理のないよう長い目で見て、努力をしコツコツ成果を上げて少しずつ成長する道を選んだ。そうすると自分が成長しているのが毎日書いていた日記から顕著に見ることができて、大学卒業するまでこまめな対人恐怖症を治す努力を続けられた。浪人も、1年という長い時間の中で、リフレッシュ時間を1日何時間とか決めてしっかり休んでメリハリある生活をすることが大切であると後の経験から学ぶことができた。勉強だけして生活するのはほぼ不可能であった。


 浪人してた頃は、対人恐怖症であるストレスに加えて、普通の浪人生が抱えるようなストレスも感じるわけだから、二重のストレスがかかり、精神がかなり不安定であった。調子の上下がかなり激しく、調子が良い日は何時間もできるが、悪い日は本当に1時間も集中できないような感じであった。


 浪人は、1人で孤独に頑張るものだと思われがちだが、誰かと話したり浪人友達とかを作ることがかなり大切であったと今だと思う。対人恐怖症であった当時には友達なんか絶対作れなかったが、自分がもし対人恐怖症を患っていないと想定して過去の自分を考えてみたら、絶対誰かと話したり、浪人友達を作り誰かと情報を共有したりする時間が必要であった。私の場合、人が怖いくせに、人と話すことが好きで、小学生の頃は常に人と一緒にいてとても楽しくて充実していた。そんな自分が、1人になって1年間も孤独に頑張るわけだから、それはギャップでストレスもかかって精神が病むわけである笑


 浪人することは、浪人する以前の自分よりは確実に成長できるわけであるから、自分の進みたい未来(意思)をしっかり持って勉強に臨むのが良いと思う。浪人は嫌なことっていうイメージが周りには結構あったが(世間でもその風潮がある)、私は不思議なことに何も浪人に対してネガティブイメージを持っていなかったし、今も持っていない。浪人することって人より1年間努力するってことだから単に浪人したってことが自分は頑張れるやつなんだというパスポートみたいなものであると考えていた笑


 まあ、頑張ったことがない人は、絶対一回頑張る経験をした方が良い。人より頑張ってないと自尊心が傷つき、私みたいに対人恐怖症になりかねない。本当に厄介で面倒くさい病気だから、早めに治す努力を始めた方が良い。


 浪人の話をしようと思ったら結局、対人恐怖症の話になってしまった😅