5.対人恐怖症になって自身に起こった変化

1.人と話してる時に笑顔になれなくなった

人と話してると緊張して、笑顔が引き攣ってしまい、笑顔が作れなくなった。会話の中では愛想笑いとか必要な場面でも笑顔が作れないので当時は1、2年ずっと悩んでいた。


2.人前に立てなくなった

人前で何かを発表するときは、目の前に自分を狙っているスナイパーがずらっといるイメージで、前を向いて喋れなかった。前を向いたら自分を向いて構えているスナイパーと目が合うわけだからそれほど怖いものはない。今でも、その時のあの状況には戻りたくない悪夢な時間だった。


3.人と会わなくなった

小学校の頃は、人と関わるのが好きで毎日のように誰かと遊んでいたが、対人恐怖になった高校らへんからは本当に誰とも遊ばなくなった。人と関わるのを最低限にして、1人の時間がかなり増えた。本当は関わりたかったし、彼女が欲しかった。(今まで1人もいない)


4.人の目が見れなくなった

視線恐怖症というものに、対人恐怖になって半年か1年後くらいになって発症し、今もそれに悩んでいるほど根強いやつである。人の目線が異常に怖くて、目が合わせられない。自分の場合、自分の目線が人に嫌な思いをさせているという自己視線恐怖みたいなものはなく完全に他者視線恐怖である。人の目線が、銃口に見えて目があった瞬間撃たれるって感覚である。多分視線恐怖症になった人にしかわからない感覚だと思うけど、視線恐怖症の人はかなり的確な例えだと思ってもらえると思う。


5.ふざけられなくなった

自分は、元々おちゃらけた性格であったが、対人恐怖症になってからは目立ちたくないのでその性格を封印して大人しい奴を演じてきた。その結果、自分を偽るのはすごいストレスなのか知らないが、円形脱毛症に2回なってびっくりした記憶がある。


6.疲れやすくなった

とにかくすぐ疲れるようになった。常に周りに気を遣って生活しているからか徹夜とかしたら次の日は常にグッタリしてるくらい体力がなかった。普通は若いから徹夜とかもできる体力があるはずなのに、徹夜なんかしたら次の日本当に気力がなく死んでいた。今も、体力のなさには悩んでいる。仕事終わりとかもどっかに本当は行きたいけど、帰ったらすぐに寝てしまう。後、疲れると対人恐怖症の症状も増してしまうところも厄介なところ笑


7.調子の良し悪しが激しくなった

日によって、対人恐怖が激しい日とそうでない日があってそれによって調子が悪いとか良いとかの差が激しいと感じていた。そもそも対人恐怖症になる前は調子とかということを気にしたこともなかったが、対人恐怖症になってからはすごい気にしていた。とりあえず、7時間以上寝れれば調子が良い日は多かった。6時間未満だと調子が悪い日が多かった。


8.1人でいる時間が増えた

これは大学の時がメインだが、何かの集まりがあっても対人恐怖症がひどい時は、その集まりに行かずに1人でいることが多かった。対人恐怖症の方が遊ぶ楽しさよりも強かった。そもそも対人恐怖がひどいときは遊んでても楽しくなく対人恐怖症のことしか考えられない。だから、1人は元々嫌いだけど渋々1人でいた感じがする。


9.周りを異常に気にするようになった

1人でいる自分も誰かに見られたら、ぼっちって思われるとか、自分の一挙手一投足が誰かに見られてる気がして何かやることなすことに神経を使い、常に自然体でいれなかった。


10.電車に乗るのに苦労するようになった

人が大勢いて、目線も多くて、人と目が合う危険性も高い。あんなに対人恐怖症泣かせの乗り物はないと思うくらい恐怖の乗り物である。どこを見ても誰かの視線と合ってしまい、落ち着ける場所がない、常にソワソワしていた。電車を降りる時にはいつもグッタリしていた。


11.すれ違う人も気にするようになった

すれ違う人の目線も気になりだして、絶対にすれ違う人に意識がいってしまう。本当は何も気にしないで通り過ぎるのか普通だと思うけど、無意識に気にしてしまうから止めようもない。人が来るたびにビクビクしてたら休む場所もない


12.外にいたら何をしてもつまらない

外にいれば、必ず人の視線がある。それを気にすることが1番の目的になってしまい、本来楽しむべき対象に対して楽しめなくなる。楽しむ方に意識がいかずに対人恐怖の方に意識がいってしまうので楽しむことができなくなるので、何をしてもつまらなくなった。ただ、たまに自分を向上させることは、対人恐怖の症状がむしろやる気につながって相互作用を生み出して唯一、外でも楽しめる媒介になっていった。


13.怖そうな人がすごく怖くなった

普通の人間でさえ怖いのに、怖そうな人だとそれが2倍にも3倍にも怖くなってしまい、相当な恐怖になっていた。今もそれは変わらないが、本当に全盛期は相当挙動不審になるほど怖かった。普通の人でも多分怖い人には怖いと思うと思うが、対人恐怖症の人はそもそも人が怖いというフィルターがあるならでの怖い人なので、さらに上乗せされてその人のことが怖くなる現象が起きるのだと考える。


14.パソコンが使えなくなる

自分の場合、パソコンとか映画とか何か1つのことに目線を集中させるものを見た後は視線恐怖症が悪化して現れていた。何故だかはわからないがパソコンとかした後はいつもに増して人の目線が怖くなっていた。


15.買い物が苦痛になった

買い物も人の目線の巣窟である。どこにも人の目線がある最悪の場所である。まとめ買いをしたりして、いかにそのような場所に行かないようにするか、を考えていた。



 こう考えると割とできなくなったことは多いな、と感じる。でも、恐怖を感じながらでも今自分は現に生きているし、この年齢になると他の人も大なり小なり何かしらのことを抱えて生きていることがわかり、自分だけじゃないのだとわかり少し肩の荷は降りた感じはする。でも、相対的に見れば自分の対人恐怖症というものはキツイ症状には変わらないとは思うが他の人も何かしらの悩みや苦悩を持っているのだと思うようになれると少しだけ自分にもそして他者にも優しくなれる気がする。何かYOASOBIみたいな歌詞になってしまったけど、対人恐怖症の人はもう少し自分に優しくなっても良いんじゃないかなぁって思う。いつかは治るってか、受け入れるっていうのが正しいのかもしれないが、対人恐怖症を気にしなくなる(決して治るだけがゴールではない気がする)日が来ることを夢見て今日もまた生きていこうと思う。