3.社交不安を経て、修行時代へ

 高校1年後半あたりから社交不安障害になって、自分に対して自信がないことが原因だと思い始めた。実際に社交不安障害になった人の記事とか見ても自信がないことによって発症したっていうものも多かった。自信がない人も日本人なら多いと思うが、何故社交不安障害になる人もいれば、ならない人もいるのか疑問にも思うところもあるが、1つの要因としては過去の自分を見てもそうであると実感する。


 高校生の頃は、自分に自信も持てるものが何もなかった。そこで私は努力するしか自信はつけれないのだと悟った。高校まで努力をした覚えがなかった自分は、人より努力不足で自信が持てなかったのではないかと今では思う。浪人して毎日12時間くらい勉強をしたが、良い大学に入りたいって気持ちより、良い大学に入って自信を持ち社交不安障害を治したいっていう気持ちの方が強かった。勉強はそもそもそんなに得意ではなかったので、それほどレベルの高い大学には行けなかったが、初めて全力で努力した経験だった。周りのみんなは大学生だし、楽しんでるだろうって数少ない友達にも引け目を感じていたし、1人でずっと戦っていた、と思うその頃は。初めて孤独に努力を続けた経験だった。大学1年の頃は落ち込んだのと浪人の疲れから(浪人でエネルギーがほぼ空になるまで頑張り続けた)、物事にやる気になれず無気力に生活しながらも、ずっと人は怖いままでかなり人を避けていた。友達もゼロだったし、人と話ができなかった、怖くて。大学2年からエネルギーが少し戻ってきたのかまた、努力したくなってきた(社会不安を治すためには自分に対して自信をつけるしかないと考えていたので、そのためには努力するしかないと思っていたし今も思っている)。自信をつけるにはうってつけとネットにあった筋トレを始め大学在学中は週3でやり続け、人が怖くてキョドっても人に話し続けて、LINEも10人くらいからもらった。この頃は毎日必死で、社交不安障害を治そうとしていた。そのように努力していくうちに少しずつ、本当に少しずつ、本当に少しずつ、本当に少しずつ、人に対しての恐怖心が和らいでいった。本当に少しずつだった。自分をしっかり見つめてないと、見逃してしまうようなちっぽけな変化だったけど、日記を毎日つけていたので明らかに自分が変わっていた、のは客観的にも目に見えた。それもやっぱり、本気で努力した浪人時代の経験があったからだと思う。それがなかったら大学でキョドったり、人の目線が見れずそらしたりするとか嫌なことがあったらすぐに逃げていたと思う。あの1年間の孤独な努力の経験があったから少々辛いことからは逃げなくなった。やっぱり社交不安障害は逃げていては絶対に症状は良くならない。覚悟を決めてその症状がなぜ出たのかしっかり原因を見つけ、それを解決する努力をやるしか症状が良くなっていくことはないと思う。


 本当に今思い返すと、大学時代(浪人含め)は修行時代だったと思うけど、すごい成長できたと思う。精神的にも肉体的にも人が変わるくらい大きく変わったと思う。まだまだ、完璧な状態ではないけど、まあ普通に生きれるくらいにはなれた。大学で、修行時代を過ごした自分に感謝している。もちろん大学でウェイウェイしたかったけど、あの状態では絶対無理だったから修行して良かった。 


 変わりたいと思った時に、どう行動し、どのようなマインドで生きていけるか、それが症状を治していく上で必要なことではないかと考えている。

2.社交不安障害になって1番辛かったこととは

 今思うと、社交不安障害になって1番辛かったことは、「自分の意思に従って行動できなくなったこと」であった。

 症状が出てきたらへんの高1〜高3あたりまでは周りの視線を気にし、周りの機嫌を損なわないために、とか、周りの人が第1で自分の考えで行動が一切できなかった。当時は、そのことが辛いことだと気づいていなかったが、今思うと相当なストレスだったと思う。そのおかげで円形脱毛症になったんではないかとも考える笑

 たとえ、周りが気になっても自分の意思でやりたいこととか、やるべきことを考えて行動するようにすることが必要であると考える。多分、普通の人はそう考えて生きているんだろうけど、社交不安障害になった人は、特に症状が出てきた直後は他人しか気にすることができなくなる。いつかは、その考えを改め自分の意思を再確認し、自分の人生をしっかりと自分で決めて歩んでいかないといけない。自分の場合、社交不安障害になった直後はまだガキだった。自分1人でなんて到底生きられなかったし、誰かに依存して生きていた。大学卒業して、今はひとり暮らしで仕事しながら、社交不安障害とも上手く付き合いながら何とか自立して生きていけてはいるが、社会不安障害を軽減していくためには人間的成長が不可欠であったと過去を顧みても思える。

 まず、社交不安障害になった人がやらないといけないことは、自分の意思の確認からだと考える。しっかりと自分の過去の生き方や未来にはどのような人になりたいか、などをしっかりと考え、それに基づいた意思の確認を行い、その次にその意思を実現させるためにはどうしたら良いのか考え行動に移していき、日々を生きていく。私が社交不安障害を軽減させていった大学2年らへんからはそんな生き方をしていた。


 他人の人生を生きず、自分の人生を生きる。やりたいこと、まあ社会不安障害でできないことももちろんある(私もこの症状でできなかったことは山ほどある)が、その中でもできることを探し、経験し少しずつ生きる力を身につけていってほしい、とか過去の自分にアドバイスしてやりたいです。


 このブログを読んでくださっている人がいるかはわからないけど、まだ完治してるわけでもない奴が意気揚々と何か言ってるよ、くらいの感じで受け取ってください笑

また、書きたくなったら書きます!

1.社交不安障害を軽減していくためには

 

 ずっと、ブログに社交不安のことを書きたかったけど、まだ完治してないし、とか思って後回しにしてたけど、社会人になった今、学生で自分と同じように苦しんでいる人の助けに少しでもなればと思いブログを始めました。一応、今接客の仕事をしているので、少しは社交不安を克服してきたと自負しております。まだ完璧には治ってませんが!!!


 まず、私は今23歳で、高1の終わりくらいから社交不安の症状が出てきて、特に人の目線を異常に気にする視線恐怖や脇見恐怖が酷かったと思います。精神科でもきちんと社交不安障害という診察も受けました。ストレスから円形脱毛症に2回もなりました笑、今思い出してもあの時は辛かったし、よく死ななかったなって思います笑 教室にいて隣を見たら人の目が脇見で自分の視線の中に入ってきて、そこにしか意識がいかなくなる、あの感覚は多分脇見恐怖になった人にしかわからない苦痛だと思います。今は、人と目を合わせると怖いって感じる視線恐怖はありますが、脇見恐怖はほぼ出なくなりました。

 私が社交不安になった原因は恐らく自分に対して自信のなさでした。特にいじめられたわけでもないけど、人が怖くなっていきました。その原因は今思うと、何かに対し努力して成長したりして得られる自信や、人より優れていると思えることから生じる自信がほとんどなかったことが原因だと思っています。

 私は高校での人が怖い地獄から何とか抜け出そうと、人より優れれば良いと思い早稲田大学を目指し浪人しました。そんなに学力もあるわけではなかったけど、その頃の自分にはそれしか社交不安の地獄から抜け出す答えがありませんでした。結果はもちろん、行けるはずもなく偏差値50くらいの大学に行き、大学1年の頃は相変わらず、対人恐怖の症状が強く、人とろくに話もできず、授業も1人で受けて、誰とも仲良くなれませんでした。

 私が変わったのは、大学2年からです。そろそろ本気で社会不安障害を治さないといけないと思い、あらゆる努力を始めました。ずっと背が小さくて舐められていると感じていたので、筋トレを始めました。大学中ずっと筋トレを続け今では体重が15キロくらい増えて大分自信も付きました。後、人と話をする訓練をしようと授業で隣になった人にLINEを聞きまくりました。幸運なことにそこであまり断られなかったためあまり傷つくこともなく、人に話しかける訓練ができたと今では思っています。後、自己啓発本も50冊近く読みました。自分も軸となる考えがわかったり、人間として正しい考え方みたいのが自己啓発本を何冊も読むと何となくわかってきて、それが社交不安になっていた自分の芯を強くしてくれた要因だと思っています。自己啓発本によく出てきた言葉の「明日が地球最後の日だと思って生きろ」っていうのを間に受けて、本当にそう言い聞かせて過ごした時もありましたが、もちろんその次の日に地球が終わるわけもなく、疲れ果ててしまった時もありました笑


 前置きが長くなりましたが、社交不安障害を治すためには絶対にそれに立ち向かっていかなくては100%治りません。社交不安障害の本を何冊か読みましたが、どれも解決のためには症状に向き合う必要がある、と書かれていました。私ももう社交不安障害とは9年目の付き合いですが、症状が良くなっていったのは社交不安障害に真正面から向き合ってからでした。高校生の頃とかはマスクをしたりメガネをしたりして人の視線を入らないようにしましたが、一向に症状は良くならず、むしろ悪化するだけでした。この頃、調べていて視線恐怖症にはメガネとかをするのが良いとかって書いてあるサイトとかもありますが、それは表面的な解決にすぎず、根本的な解決には絶対に繋がりません。


 まず、治すために必要なのは、なぜ自分が社会不安になったかという原因を探ることからです。私の場合、体が小さくて舐められてるという思いから自信をなくし、社会不安障害になって人が怖くなったと思い筋トレをして少しずつ症状が良くなりました。恐らく、きちんと社交不安障害になった過去を見返せば、原因が見つかると思います。絶対に自然発生的に人が怖くなることはないと思うので何かしらの原因はあると思います。その原因を突き止めたら精一杯それを解決する努力をする。これに限ります。私の場合、症状は努力に比例して軽くなっていきました。社交不安障害がヒドイ時は毎日必死で症状に対して努力する力はないかと思いますが、できるだけ早くに向き合う必要があると思ってます。後回しにしても、必ず向き合う時が来るので地獄の時間を少しでも短くするためには、なるべく早く社会不安障害に向き合うことが大切です。今、過去に戻れたら高校の時から努力するようにしたいです。


 社会不安障害の人は、人は怖いけど人は好きなのではないかと思います。私は、人は好きだし、興味もあります。人に興味がなかったらそんなに対人恐怖症になるまで人に執着しないと思うのです。人は好きで話したいのに、怖くて話せない、という心の中の矛盾した葛藤が社交不安障害として出てくると思うのです。なので、どうか人と関わり合う明るい未来を信じ一歩踏み出してほしいと思います。

 私も、あの頃には想像できないほどの友達も何人もできて、全く話すことができなかった女子とも話せるようになり、今では接客の仕事までできるようになりました。(人の目を見るのは今でも怖いが笑)、でも、社会不安障害が少しずつ治ってくる実感を持てるとすごいワクワク感というか自分に自信が得られます。あんなにキツイ症状に向き合い治してきた、という自信が生きるエネルギーとして明日の未来を切り開いてくれます。

 ですから、学生とかで今現在進行形でこの症状に悩んでいる人はまず一歩でもできる努力を始めてみる。逃げていても症状は絶対に良くならない、ということを肝に銘じて社交不安障害に挑んでいってほしいと思います。


 このブログは、昔悩んでいた自分自身に書いてあげたブログのようにも感じます。もちろん、私の経験談なので、同じようにいくとは限りません。でずが、少しでも悩んでいる人の参考になれば幸いです。社交不安障害になったからこそ、人に優しくなれたり、人の痛みに共感できるようになったりとこの症状のおかげで色々と人間として成長もさせてくれました。ぜひ、症状に負けずに利用するくらいの勢いで明るい未来を切り開いていってほしいです。社会不安障害の地獄を知ってる自分だからこそ、同じ症状に悩んでいる人の未来が明るくなることを心から願っています。


 初めて書くブログだから、どうなるかわからないけど、また書きたくなったら書こうかな〜笑